久我 田鶴子


少数者つて言ふのに嚙んでしゆうしゆうとそのうち静かになる曹達水

伊豆 みつ 『鍵盤のことば』 書肆侃侃房 2021年

 

「少数者」と言おうとして嚙んでしまい、「しゅうしゅう」と言ってしまった。きっと慌てて「しょうすうしゃ」と言い直したことだろう。

言葉を発するときの緊張感。「少数者」は、言うのに身構えるような言葉だったのでもあろう。

「しゅうしゅう」という音の響きからの連想か、下の句は「そのうち静かになる曹達水」とつづく。

曹達水は、ソーダ水。カタカナで表記されることが多いが、敢えて「曹達水」と漢字で表記している。コップに注ぐと炭酸の泡がシュワシュワとしばらく音を立てているけれど、そのうち静かになる。それと同じように、言おうとした言葉が滑らかに出てこなかったことで動揺した心も、やがて収まっていく。

驚き慌てることを「泡を食う」と言うが、言おうとした言葉を嚙んでしまって泡を食った。ソーダ水を飲んだときのように、喉のあたりに泡が弾ける感覚。さらに、「泡」から「粟」へ。ぞわっと鳥肌が立つことを「粟立つ」と言うが、その言葉も思い浮かべたかもしれない。

 

俺の檸檬なれども檸檬爆ぜたるを俺は知らず。とほざきたまひき

 

檸檬の所有者は、「俺のもんだけど、それがどうなったかなんて知らねーよ」と言っているのだ。「俺」も「檸檬」も比喩、権力者(強者)と弱者の関係に置き換えることができるだろう。

そして、「ほざきたまひき」だ。

「ほざく」は、他人がものを言うのを罵っていう語。それに「たまひ」と尊敬語をつけている。「き」は過去の助動詞だから「ほざきなさった」というわけである。ののしる言葉に敬語をつけることで、相手を強烈に皮肉っている。ストレートに「ほざくな!」と言うよりも、表現としてはずっと効力がありそうだ。

弱者、あるいは少数者の側に立って、言葉を駆使して闘っている作者。

こんな歌もあった。

 

われを綺麗だとか綺麗ぢやないだとか全員そこへなほれ さちあれ

 

女性を見る目への抗議だ。けれども、並ばせて攻撃しようというのではない。「さちあれ」に籠められたゆるしと、良き方向へ向かっていくことを願う期待と祈り。異なる考えをもつ人をも巻き込みながら、共に進んでいかないことには未来は拓かれない。