海の音しずかになれる春の夜の浜辺に出でて泣く砂を踏む

岡部桂一郎『一点鐘』

 

ふたたび『一点鐘』から。
海が落ちついている夜の浜辺。「泣く砂」がいいですね。
踏むときゅうきゅう鳴くのか。
「鳴き砂」「鳴り砂」あるいは「泣き砂」といって、踏むと音の鳴る砂の浜辺は国内のいろんな場所にあるそうです。たぶんこれのことを言っているんだと思うのですが、「泣く砂」としているのはおそらくこの歌独特のもの。
ここが「泣き砂」だとつまらない。そういう砂として知られているものになってしまう。「泣く砂」のほうが不思議な感触が残る。
砂は踏まれて「泣く」わけだけれど、つらくて泣く感じはしない気がします。
悲しくて泣くわけでもない。人の条理の外にあって、とにかく音に出して泣く砂である。
そんな感じがします。

もう何首か。

 

かすかなる用事をもちて初乗りの電車は雪の千葉・松戸まで

 

「初乗り」は新年初めて乗り物に乗ること。
「かすか」はふつう「用事」につかなくて、軽いユーモアを感じます。
あるかなきかの「用事」。
そして「千葉・松戸」はあまり雪っぽくないところ。しかし新年で雪の降っているそこへ向かう。
ひゅっと作ったような雰囲気がいい感じで、それこそかすかなポエジーが歌を包んでいる。

 

不思議なる音して去年こぞの雪が降るきょーん、きゃーん、きゃーん、きょーん

 

これ、だいぶ自由で面白い。
「去年の雪」って、季語で普通は残雪のことみたいですけど、ここではちょっと違う意味なのかな。
下句すごいですが、最初に「不思議なる」と自ら言っているところもタガが外れている感じがします。作品をきちんと額縁にはめようとして作ると、このあまりに率直な「不思議なる」って絶対出て来ないと思うんですよね。

砂が泣いて、雪は不思議な音がして、わたしのタガは外れかけている。そんな感じで好きな歌集でした。ほかもいろいろあるけど、とりあえずこのへんで。

 

するすると紐がほどけてゆくような一部始終を目守りおりたる

 

 

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