赤ん坊をわれに抱かせたがる息子とほいとほい日の自分をみたきか

木畑 紀子 『かなかなしぐれ』 現代短歌社 2019年

 

生まれて間もない自分の子を、母親に抱かせたがる息子。これはいったい何だろうと訝りながら作者が思い当たったのは「とほいとほい日の自分をみたきか」であった。

母親に抱かれた赤ん坊に、幼い日の自分の姿を重ねてみる。自分もまた母親に抱かれて愛されていた日があったことを確認したい。そんな気持ちが息子にあるのだろうかと、母親である作者は想像してみる。

この想像は、母親にとってちょっとくすぐったいような嬉しいことかもしれない。

「赤ん坊を/われに抱かせた/がる息子/とほいとほい日の/自分をみたきか」。5句に区切ってみると、こんな感じ。6・7・5・8・8と、全体に字余りで、ゆったりとしたテンポだ。2句から3句にかけては、ほんとうはひと続きで分けられない。息子への愛おしい思いがたゆたっているような歌だ。

 

六十年の時間のしづくわが生地和歌山にふるけふの秋雨

出生地あたりの店でみかん買ひ食べつつ路地を三周したり

吹上小校庭に来て姥の目におかつぱ泣き虫八歳が顕つ

ふるさとと呼ぶにやさしく幼年の悲喜ことごとくおぼろうすずみ

 

これらの歌は、六十年という歳月を経て、自らの出生地を訪ねたときのもの。自身の幼年期が、老いの目を通して蘇る。人の一生のなかで、いかに幼年の記憶が大切に残されていくものか。

 

のぼりてはすべり、すべりてはのぼるただすべることうれしきこども

 

この歌は、息子が抱かせたがった赤ん坊の少し成長した姿のようだ。

「のぼりては/すべり、すべり/てはのぼる/ただすべること/うれしきこども」。すべて、ひらがな表記。すべり台で繰り返し遊ぶ子どもの動きを追いつつ、子どもの嬉しさとともに、それを見ている者の嬉しさも伝わってくる。この歌でも、上の句はひと続きと見た方がいいだろう。5・7・5のリズムからは少しはみ出しながら、子ども動きをやはりリズムよく表現している。

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