河野小百合 『雲のにおい』 本阿弥書店 2021年
生きているその時その時、目の前の現実と自分の内面とが直接的に繋がっていることの方が稀なのではないだろうか。
「猫のためあける窓より秋雨が入る」のを目にしながら、それとは無関係に「もっとやさしく言えばよかった」などと考えている。目の前で起こっていることとは全く無関係なことを思っていたりするのは、ごく普通のことだ。この一首は、その裂け目のようなところを捉えているように思う。作歌の段階では、こんなのは歌にならないとだいたい捨てられてしまうところだろう。
とは言うものの、「もっとやさしく言えばよかった」と「猫のためあける窓より秋雨が入る」とが、何の繋がりもないとも言い切れない感じがしてくるのが、短歌の不思議なところ。接点がないようで、「猫のためあける窓より秋雨が入る」に目を止め、一首のなかに入れたのには何かがあったのだ。内面と外界とのたゆたいのようなもの。
猫が出入りできるようにした配慮、それによって猫ではなく秋雨が入ってきてしまったこと。それと「もっとやさしく言えばよかった」という思いは、どこかで響き合っているようにも思われる。
そういう微妙な雰囲気がこの歌にはある。
ああここの太巻寿司のたまごやきセカンドオピニオンという方法がある
この歌でも、「ああここの太巻寿司のたまごやき」と「セカンドオピニオンという方法がある」はストレートには繋がらない。場面を考えれば、太巻寿司を食べながら、ここの卵焼きはやっぱり美味しいなとか思っている一方で、セカンドオピニオンという方法があるなどとシビアなことも考えているということなのだろう。
暢気そうに太巻寿司の卵焼きを口にしながらも、病への対処方法について思いを巡らす。思えば、そんなアクロバティックなことも人間はふつうのこととしてやってのけている。
しなやかと言うか、したたかと言うか。そう簡単にはへこたれない。そういう力を人間は持っている。