永井 祐


わがへやの机に肘つきてをりしときうしほのごとく来にし夜かも

佐藤佐太郎『歩道』

 

 

自分の部屋の机に肘をついているとき、潮のように夜がやってきた。
ほぼそのままですが、これが歌の内容。
とても漠然としたものが、よく感じられるような気がして好きな歌です。

韻律的には明らかな特徴があって、二句「机に肘つきて」が9音で2音の字余りになっている。ほかは余りなし、そして三句「~とき」四句「~ごとく」結句「~かも」と、けっこうスタンダードな構成になっている。
つまりは二句だけややごちゃついているわけだけれど、
おそらくはここが肝になるところなのかと思います。
二句を余りなしでするっと流れるように作ることは可能だと思う。
でもそれだと、下句に入ったときの時間や色合いの転換の感覚が得られなくなるんでしょうね。

上句のリズムと下句のリズムは微妙だけど違う。
上句のトーンはわりと散文的。机に肘をついて~を細かく言っていく。
肘をついて、なんだろう、漠然と考えごとをしたり思ったりしているんでしょうか。その「漠然と」の感じが、肘をついていることを言うことで伝わってくる。
上句はほぼ「漠然と考えごとをしていると」という内容だと思うんですけど、その言い方だと上滑りして特に伝わらなくなる。
「わが室の机に肘つきてをりしとき」によって、むしろ漠然とものを思っていることが浮かび上がってくる。
補助動詞「をり」(~している、~したままである)が入って時間の継続の感覚があることも大事なところでしょうか。

そして一気に下句へ。「潮のごとく」夜がやって来ていた。考えごとをしているといつのまにか、潮が満ちるように夜が満ちていたという感じでしょうか。
わたしに流れる時間と、夜がやってくる時間の間にずれがあって、夜の訪れ方に対するおどろきがある感じがします。
それが上句と下句のリズム・トーンのずれに、つまりは歌の韻律のあり方になっている。

部屋で漠然と考えごとをしていると、漠然とあ、夜来てるみたいなところが好きな歌です。それが「潮のごとく」という大きな比喩に乗っている。大きいゆえに漠然としたものが漠然としたままになっているような気がします。