たはやすく人等たたかひをいざなひてその時にわれはすすみ死ぬべし

佐藤佐太郎『歩道』

 

 

『歩道』は好きな歌集ですが、そのなかのずっと気になっている一首。
昭和九年の歌として発表されていることからして、「たたかひ」とは日本が行う戦争のことを言うのかと思います。
佐藤佐太郎は『歩道』の次の『しろたへ』に戦争詠が多く入っていますが、
『歩道』にはごく少ない。
そもそもそういうトーンがない感じなのですが、そのなかで今日の歌がふっと出てくると、あ、と思う。
今日の歌の前後にあるのは、

 

曇夜くもりよの音なかりしが塀の上のしげき木群こむらがたえず動けり

とどろけるなぎさにちかく松なみてははきのごとく枝は見えをり

 

これらの歌、木群が動いてたとか枝が見えてるとか、そういう感じのやつなので、
歌集中で読んでいるとすごく気になるのです。

今日の歌を読んでいくと、
「たはやすく」は「容易に・たやすく」、また「軽々しく・軽率に」という意味もある。
人々は簡単に戦争を招き寄せて、そのとき自分はすすんで死んでいくのだろう。
あえて訳してみると、こういう感じでしょうか。
「たはやすく」には、やはり批判的な意味があるように思います。そしてより印象的なのは「人等(ひとら)」。自分と「人等」を強く区切って、「人等」すべてを軽蔑するポジションに立つような、強いものがある感じがする。
(どうせ)が最初につくようなニュアンスというか。
どうせ人々は簡単に戦争を招き寄せて、そのとき自分はすすんで死んでいくわけでしょ。
くだきすぎかもしれませんが、こういうニュアンスも流れているように見える。

「べし」には多くの意味がある。推量、意志、可能、適当、当然、義務、予定、命令・・。基本的には推量の意味でとるのですが、この歌の「べし」に色んな意味がこめられているように思えます。
「そのときに~死ぬんだろうな」という自分のことを他人事のように思うニュアンスから「そのときに~死ぬはずなんだ」、また「そのときに~死ぬべきなんだ」というところまで。
こういうニュアンスを渾然一体にして受け取りたいように思う。

同じシチュエーションに立ったことはないけれど、わたしはこの歌の感覚、軽い言い方ですが気分みたいなものはよくわかるような気がします。ひりひりする。

 

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