小黒 世茂 『九夏』 短歌研究社 2021年
しっとりとした朝の空気。草の露を口にして静かにしている秋虫。この虫は、ウマオイ、カンタン、スズムシ、ツユムシ、クサキリの類だろうか。なんとなく草色の虫のように思われる。「草の露ふくみ」という、やわらかな表現。そこに、微量の水にいのちをつないでいる虫の姿が見えてくるようだ。
静かにしていた秋虫だが、その「からだのなかで水はめざめる」。ただの水だったものに生命体としてのスイッチがはいる。「水はめざめる」には、そんな生き生きとした生命の宿りが感じられる。水が生命体に組み込まれ、秋虫のいのちを動かしてゆく。
生命の中を循環する水。壮大な生命のドラマと水との関わりが、小さな秋虫のなかにも確かに繰り広げられている。
苔の吐く息はうつすら霧となり樹下のをんなの声をくもらす
「苔の吐く息」、そこに含まれている水分。それがうっすらとした霧をつくりだし、樹下にたたずむ「をんなの声」をくもらせる。
「をんなの声」、呼気とともに発せられる声。そこにも微量の水分が含まれている。「苔の吐く息」と「をんなの声」とは混ざり合い、すべてが水の粒子のただよう世界のなかに取りこまれる。苔も樹も、女も、森の生命の一部のようになる。この女は、作者自身であるのかもしれない。なかなかできる体験ではない。
「をんなの声」がくもったのは、震えるような感動のせいだったのかもしれない。
湯気のやうな風のかよへる小路から空がもうぢきひくくなるかも
こちらは、真夏の街か。うだるような暑さの中、小路には湯気のような風が通っている。湯気のような風では、陽炎がたったり、逃げ水が見えているのかもしれない。そんな暑い日には、天気の急変がある。「空がもうぢきひくくなるかも」は、その予感。間もなく雨雲が空を低くして、ひと雨ザッとくるのにちがいない。
自然界が見せてくれる、水のさまざま。時には恐ろしい災害をもたらしもするが、その水によって生命は保たれ、次へと繋がっているということ。水はあらゆる生命と関わりながら、目に見えないところでも絶えず循環している。