極東の列島は原爆実験にふさはしかりしか ああいまもなほ

松尾 祥子 『楕円軌道』 角川書店 2021年

 

実際の戦争における原爆投下は、広島と長崎のみ。それも種類の異なる原爆が、8月6日に続いて、3日後の9日に投下された。できたばかりの原爆を実験したかった人たちがいたことは確かで、それも市街地に投下することでどんな破壊力をもち、人間に与える影響についても知りたかったのだろう。

その実験に選ばれた「極東の列島」。

極東。ヨーロッパから見て、東の果て。さらに、そこにある列島。大陸から切り離された島国であることが、原爆実験の地として、やはり相応しかったのだろう。

一首は、「ふさはしかりしか」と断定を避けて、問いかけにしている。

相応しかったのかというここまでは過去のことを言っているが、一字アキの後にくる結句は、そこで留まらないこと、今に続いていることを告げている。「ああいまもなほ」に込められた嘆きの深さ。

 

八月の青人草あをひとくさよ みどりごを抱きつつ六・九・十五日過ぐ

廃炉計画なきまま再稼働決めぬ地震予知すらできない日本

汚染水海に流せる極東の島国に降る長月の雨

 

この歌の前に置かれている三首を挙げた。

東日本大震災・原発事故を経てなお、廃炉計画もないまま原発の再稼働を決めてしまう日本という国。放射性物質を含む汚染水を海に流しつつ、である。

「ああいまもなほ」という嘆きの元には、原発事故があり、その処理もできないままに再稼働を決める国が自分の国であるということがあった。そして、抱いているみどりごの未来を思うのである。これからを生きていく子どもたちの生存が脅かされるようなことがあってはならない。そのために私たちに今、何ができるのか。胸に抱いたみどりごが切実に考えさせたことである。

今、日本は、原発の事故や、その後の再稼働の実験の真っ只中にあるのかもしれない。

「極東の列島」という認識のもとに、日本に世界の目が向くときの、そこにあるもの。ぞわぞわさせられる。

 

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