久我 田鶴子


風防がらすのかけらをこすつてわかるものだけ手をあげてごらん

平井 弘 『遣らず』 短歌研究社 2021年

 

飛行場の近くに風防ガラスのかけらを探しに行ったんだよ。擦るといい匂いがしてね。

そんな話をしてくれたのは、この作者と同じ昭和11年生まれの人。戦争中の少年の遊びは、思いのほか優しい色合いをしている。話してくれたときの、懐かしむような、少し恥ずかしそうな顔が忘れられない。

風防ガラスは、戦闘機の操縦席のガラスだ。ガラスと言いながら、アクリル樹脂でできている。現在のアクリル板と違って、純度が低く混ざり物が多いので、擦ったときに甘いような匂いがしたらしい。

それを探しに行くのは、少年にとってはちょっとした冒険。見つけられたら宝物だ。ときどき擦っては匂いをかいだり、擦りながら何かのかたちを作ったりしたのだろう。

「風防がらすのかけらをこすつて」と聞いて、すぐにピンとくるのは、たぶん作者と同世代。子どもの頃に戦争を体験している。

「がらす」までひらがな表記で、全体にやわらかな雰囲気だが、その元が戦闘機であることを思えば、その雰囲気とは裏腹のものを思わずにはいられない。

「風防がらすのかけらをこすつて」と「わかるものだけ手をあげてごらん」の間には、たぶん省略がある。例えば、「風防がらすのかけらをこすつて(と聞いただけで)わかるものだけ手をあげてごらん」というように。

そして、「わかるものだけ手をあげてごらん」は、どうしたって同じ作者の「男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる」(『前線』1976年刊)を想起させる。内容的にもどこかで繋がっているようである。

 

なすの馬の脚のういたいつぽんだけがいまもあるいてゐるつもり

あとを追つてはひつていかなかつた影がまはりどうろうをみてゐる

 

お盆の棚に飾られた茄子の馬。脚が一本だけ浮いているのは、その一本だけがまだ歩いているつもりなのだという。そこに立ち現れてくる、今なお行軍を続ける兵の姿。

ほかの者たちが去っていった後に、なお留まった影が見ている回り灯籠。揺らめく灯の中に佇んでいるのは、戦争によって断たれた命の影ではなかったか。

戦争によって傷を負ったのは、子どもも同じである。いや、まだ自分で生きる術を持たなかった子どもたちの方が、より深く傷を負ったのかもしれない。負った傷は、それから何十年経とうと消えない。忘れてはならないとも思っているのである。