永井 祐


どの店のガルソンもマツチを二つづつくれる不思議さをかんがへて見る

石川信雄『シネマ』

 

お盆になりましたが、
このブログは通常営業です。リアルに盆も正月もない。

今日の歌は『シネマ』から、昭和初頭の歌集です。たしか正月ごろに一回紹介しましたが。

「ガルソン」はいわゆるウェイターのこと。ギャルソン。フランス語で男の子をあらわす言葉だそうです。
カフェのイメージですよね。煙草に火をつけるためにマッチをたのむ。
するとどの店でも必ずマッチを二つくれる。
二本くれるのは、普通に火をつけるときに失敗したとき用なのかなと思うのですが、
その、いつも「二つづつ」ということに目に見えないポエジーがただよっていて、それをふんわりと遊ばせている。
そんな感じの歌かなと思います。

最近はお店で煙草が吸えない場合が多いですが、
もっと昔だと、マッチをたのんだら小っちゃいケースごとくれたような記憶があります。
さらに昔だと二本ずつくれたのかな。
この歌の感じだと、リアルにそうだったのか、幻想空間のようなものなのか、それが半々になっているようで、よくわからない。今から見るとかもしれないけれど、そのわからなさも歌の雰囲気になっているような気がします。
「二本」じゃなくて「二つ」となっていることにも気がつく。

「ガルソン」にははっきりした顔がない。どの店でも同じようにガルソンがいて、同じように振る舞う。
都会的でモダン、というと、けっこうそのままですが、たしかにそんな感じが歌に通っている。夜もお店が明るくて人が動いている都市の中での孤独という雰囲気がある。

短歌の場合は、モダンな風俗を詠み込むこと自体はとても簡単であり、わりと節操なく流行り物が歌に登場したりするのですが、『シネマ』の歌はかなり骨格のところから歌が作り直してあるようで、そのへんがとても面白く感じます。

この歌もとてものっぺりとした感じがするというか、二句が九音、四句が八音でルーズな感じで余っている。そして「不思議さを考へて見る」というのはほぼ意味のないような叙述だと思うのですが、下句をたっぷり使ってこれを言っていく。「不思議」でもよさそうで字数も合うところを「不思議さ」としながら。

文体のところどころが雰囲気を作っていて、言ってみればそれそのものが一首のアティチュードになっている。