鈴木美紀子『金魚を逃す』2024年
「ひったり」が良いと思う。「ぴったり」ほど張りついておらず、動きに合わせてやわらかく伸縮する遊びのある造りを感じる。「ニット」というだけではまだ糸を編んだ状態のことで、歌の中ではセーターのような衣服の形状は省略されており、体を包み込む衣服をより抽象的にした換喩として「ニット」が使われている。服の形状を言わないことで、身体に触れる感触が前景化してくる。現実の衣服よりももっと身体の凹凸に自然に沿うような感じ、と言えるだろうか。視覚的な情報ではなく、肌に触れる感覚そのものを感じ取れるような語が選ばれている。
二句で軽い小休止・四句で句切れをおく偶数句のリズムがこの歌の主なリズムで、その次に見えるのが初句「ひったり」・三句「春色」の奇数句の頭のハ行音のリズム、そして最後に初句「ひったり」から二句飛ばして四句「ニット」につながる促音便の繰り返しのリズムがある。これらの三つのリズムがうねるように四句に集まりながら、肌に触れる触覚の解像度が上がった状態で、結句「あるいは、脱ぐ」を迎えることになる。
歌の中の〈現在〉は結句にあって、そこではニットを「纏う」と「脱ぐ」が重なりながら同時に起こっている感じがする。着ているかも知れない、脱いでいるかも知れない、二つの動詞の現在形は、この二つを選ぶことができる主体の意志を示している。
この意志は、あえて選ぶほどでもない、何も主体を妨げる前提がない当然の選択のようなニュアンスがある。明確に意志を示す助動詞を補うと違いがわかると思う。
ひったりとつつまれるなら春色のニットを纏おう あるいは、脱ごう(改作)
こうすると、「つつまれるなら」が意志が起こる前提条件のように見えてくる。原作はわざわざ前提条件や仮定条件と意識する必要もない。自然と「つつまれる」ような軽いニュアンスが出ている。わかりやすく意志を出さないことで、主体の意志が強く出ているような気がする。意志を直接出すとは、意志がなかったこと・意志を示すことを抑圧されていたことを一度認めることになるのではないか。作者はそれを避けようとしている気がする。
ひったりとつつまれるなら春色のニットを纏う あるいは、脱ぐ(原作)
余計な意味のない現在形の言い切りがこの歌にはあっている。当然のこととして、纏い、あるいは、脱ぐ。その行為にはそれ以上の意味はない、という意志である。
