寺井奈緒美 『アーのようなカー』 書肆侃侃房 2019年
感謝され、逆に元気をもらったと言われる。それって、いったい……。
「逆に元気をもらった」とは、なんだろう。「逆に」って?
この頃よく耳にする言葉である。この頃、と言うか、東日本大震災以後と言った方がいいかもしれない。
困難な状況に遭遇している人が、そこで頑張っている姿を見たときに使われる。言ってしまえば、困難な状況に遭遇している人は落ち込んでいて当然なのに、それでも頑張っている姿を見せられて、励まそうというくらいの気持ちで接していた人の方が「逆に」元気をもらったと言うのだろう。
そこに潜んでいる、「逆に元気をもらった」と言う側の優位性。言われた側は、感謝されても何だかなあ……、というようなブスブスくすぶったような感情が残るのではないだろうか。そして、それは「西日が焦げ付いていく」というほどにもなる。
「焦げ付く」、焦げてものに付く。それを剝がすのは容易なことではない。「焦げ付いていく」、嫌な感じはだんだんと高まっていく。
言う方は、きっと最初に誰かが言い出した言葉をなぞっているにすぎないのだろう。こういうときには、こう言えばいいと、「逆に元気をもらった」という言い方が既にマニュアル化している。
だが、それを言われる側は、どんな思いがするものか。本当にこの人はこちらのことを分かってくれようとしているのか、別に感謝される筋合いはない、現実に立ち向かうのに必死なだけなんだから、簡単にそんな言葉で言ってほしくない、と思ったとしても何の不思議もない。
沈黙の中にも味方のいることのミルクスープに蕪は沈んで
本当に求めているものは、沈黙の中にもあるよ、という歌。ミルクスープの中に蕪が沈んでいて、目立たないけれど優しい味を出して身も心も温めてくれるようにね、と言うのである。
人生がしようもなくて何が悪い ぷすうと変な寝息の君と
手羽先の骨をしゃぶっている時のろくでもなくてうつくしい顔
しようもない人生でもいいじゃないか、ろくでもなくて美しいってこともある。ぷすうという変な寝息をたてたり、嬉しそうに手羽先の骨をしゃぶったりしている人が傍にいるだけで幸せってこともある。