永井 祐


おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿

塚本邦雄『感幻樂』

 

 

前回、海の雪の歌でしたけど、海に降る雪の歌というと、わたしは最初にこれが思い浮かびます。
第六歌集『感幻樂』の「花曜」という連作に入っている。
わたしは昔から好きな歌です。暗誦できる。

はるかむこうの沖に降る雪、これがとても素敵であり、
真っ白で大きなお皿にすこし胡椒がこぼれている室内の景に切り替わる。
「ものを」は詠嘆をあらわす終助詞。「~のになあ」といった意味。
口語にすると「沖には雪がふるのにな」。これはこれで、かわいくていいような気もする。

意味的につめていこうとするとわりとよくわからない。わたしはけっこうなんとなくで受け取っている。
はるか遠くにあるものを思う心と、それが破れた名残りのような「ものを」。
「あかとき」は明け方のこと。胡椒がこぼれている皿は不思議とくっきり浮かぶような気がします。
きっと上句のイメージが飛んでくるのか、白くて平たくて大きい、いかにも西洋的なお皿なのかと思う。そして室内は少し薄暗く、擬古的な装飾のあるような部屋で、人は一人きりなのかと思う。窓から海が見えるのかもしれない。弱い光に皿が照らされている。
「胡椒」もさまざまに喚起的なのかと思います。古代からさまざまな海をわたってきた香辛料として。

韻律がとても強い歌で、何よりの特徴は「おおはるかなる」の初句七音。
いかにも初七っていう感じですよね。はじめにどーんと「おおはるかなる」が来て、一首の韻律を一気に決定付ける。
連作「花曜」には「隆達節によせる初七調組唄風カンタータ」という副題がついていて、ぐぐるといろいろ解説も出てくるかと思いますが、とりあえず初七調がそもそもテーマになっている。

初七の歌は今でもあるし、いろいろカラーもあると思うのですが、ここでの初七調はけっこう大仰な韻律なんですよね。余計に「おお」をつけるわけだから。パロディすれすれのきわどいところを通っていると思うのですが、三句で景が切り替わったり、下句の線の細さであったりで、見事にバランスがとれているように見える。初句が「はるかなる」だととたんに輝きのない、なんだか普通の歌になるような気がして、納得させられます。「沖」と「雪」のくっきりとした響き合いが耳に残る。
それで暗誦したくなります。