夜の道来つつし見れば凍りたる立方体の烏賊いかをほどける

玉城徹『樛木』

 

 

毎日暑いので氷の歌。
玉城徹は1924年生まれ、この歌は昭和40年前後の歌みたいです。

歌は明快かと思いますが、詠まれているものは昭和っぽいのかと思います。
烏賊を凍らせたやつを(道ばたで?)ほどいている。
新鮮なまま運ぶために凍らせているものだと思います。立方体なのは、積みやすいからなのか。わたしは素朴に想像すると、凍らせたイカを何らかのコンテナみたいなものに入れて運ぶようなイメージがありますが、この場合、立方体の氷の中にイカがそのまま凍りついているような、そんなイメージが浮かびます。
立方体は、同じ大きさの6つの正方形で囲まれた形。
夜の道にいきなりあらわれた立方体。その存在感、違和感が肌に感じるように、伝わってくる。やはり「立方体」の固い語彙が面白く、ほかのやわらかい語彙の中で、そのまま氷の物質感をあらわすようです。
この端的な物質感はモダンな感じがします。物語や感情の外側にあるモノのような。

流れが自然で、かつかっこいい歌だと思います。昔の夜の道ばたの空気も閉じ込められているように思える。

「ほどける」は、氷を解凍しているという意味にもとれて、また包みや紐などをほどいているようにもとれる気がします。後者の感覚で読んだけど、前者の意味があるのかな。

文語遣いが細かい。
「来つつし」は副助詞の「し」かと思いました。上の語を強調する意味。「生きとし生けるもの」とか「寒くしあれば」などの用例がある。ちょっと口語に直しようがなく、意味も重大に取らなくていい「し」だと思いますが、たとえば「行きつつ見れば」とするとけっこう違ってくるのかなと思う。「行く」の動詞が入ってしまうと主体がずんずん進んでいく感じが出てしまい、この歌の「来つつ・・」はよりふわっとした通りがかり感があるのかと思う。

「見れば」は已然形+ば、短歌によく出てくる。意味はシンプルには3つで「原因・理由~ので」「偶然~たところ」「恒時~といつも」。
この歌はくっきりと「偶然」だと思います。この形は考えると不思議で、「原因・理由」と「偶然」が同じって妙じゃないですか。このニュアンスのグラデーションは考え出すと深いと思います。

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