長谷川富市 『雪原』 不識書院 2021年
「雪原」は「ゆきはら」。「生れし」は、「あれし」ではなく「うまれし」と読ませるのだろう。
定型にきっちり収まっていながら、どこにも窮屈なところがなく、ゆったりと雪国の早春の景が描き出されている。「やわらかく」は影のさまを言いつつ、「春の陽は差す」にもかかり、正岡子規の歌「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」の「やはらかに」と同じような効果を上げている。
この一首の前には、次の歌がある。
今日の日の凍み渡りのこと父のことなど弟は吾に語れり
この歌も定型に収まっているが、四句目が「など弟は」とイレギュラーな揺さぶりをかけてくる。
「凍み渡り」とは、陽射しによって表面がシャーベット状になった雪が、晴天の朝の放射冷却で凍みて、固くなった雪の上を歩くこと。雪国に春を知らせるものでもあるようだ。
宮沢賢治の『雪渡り』では、「雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。」と書かれている。そして、四郎とかん子が小さな雪沓をはいて、「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」と言いながらキックキックと歩いてゆくのである。
弟が語ったという「今日の日の凍み渡り」もそのことで、春になったという挨拶でもあったか。それを聞いた作者には、雪原に生まれた窪みのひとつひとつに春の陽が差して、影をやわらかく作っている様子がありありと見えたことだろう。
そして、弟が語ったのはそれだけではなかった。「父のことなど」も語ったのだった。
兵籍簿父の戦死を見る葉月遠く近くに父の時あり
入隊は吾誕生の八日前残雪深き三月半ば
生後二か月余の吾・母・祖父、父に面会に行く
母九十二歳にて死す遺品より父の入隊後のハガキ6枚
叔父さんが吾の父となりたる日記憶の中におぼろに在りて
ピンと伸ぶ白き口髭小さき目どこか優しい叔父さんの顔
これらの歌からすると、弟が語った父とは、後に父となった「叔父さん」のことなのだろう。語ってくれた弟は、その「叔父さん」と母との間に生まれた子。九十二歳で亡くなった母の遺品から出てきた「父の入隊後のハガキ6枚」が語るもの。そして、今なお優しい「叔父さん」。
雪原の窪みの「それぞれに影やわらかく春の陽は差す」という表現が、しみじみと胸に響いてくる。
作者は1944年、新潟県生まれ。新潟市在住。