恒成美代子 『而して』 角川書店 2021年
作者は、福岡市在住。
天神中央公園は、よく行く散歩コースの中にあるのかもしれない。
それにしても、「たうとつにわれは来たりて座りゐる」とは。公園の石椅子に座っている自らを見いだして呆然としているようである。「たうとつにわれは来たりて」の、足が勝手に動いてここまで連れてこられたといった感じ。自分でも思いもしなかったことをしているのである。〝物狂い〟は、能の舞台の虚構ではない。
けふわれはあなたを忘るるために来ぬ歩いて歩いて筑紫野の野に
散歩といひウォーキングと呼び けふわれは徘徊してゐる咎めたまふな
歩いて歩いて、「散歩」と言ったり「ウォーキング」と呼んだりしているけれど、わたしは徘徊していると言う。そして、何のためにそんなに歩くのかと言えば、「あなたを忘るるため」である。
「あなた」とは、一年間の闘病の末に亡くなった夫。
帰りたい、家で死にたいという本人の願いにより、2020年1月9日に退院。その時、余命1週間の宣告をうけていたという。退院から10日後の1月19日に死去。膵臓癌であった。
愛する者の死に、ただただ歩かずにはいられない。「あなたを忘るるために」歩きはじめたものの、忘れることなどできないのである。だから、「歩いて歩いて」となる。「徘徊」のような有り様になる。
足許にほつほつ笑まふタマスダレ秋の光は慈愛のやうね
秋霖にしとど濡れをり上を向き淡き花咲く段戸襤褸菊
どうしても歩みは俯きがちになる。タマスダレや段戸襤褸菊のような、地にひくく咲く花が目に入ってくる。でも、それは笑まうように咲いているのであり、雨に濡れても上を向いて咲いているのである。そのような花々の励ましに遇いながら歩きつづける。
妻といふ在り処消え失せ而して博多の端に生きねばならぬ
ふはふはと夜を出で来し現し身はいづこへ行けば納得するや
夫の死によって消え失せてしまった「妻といふ在り処」。寄辺のなさが歩かせるけれど、どこへ行っても納得できるようなところはないのだった。