みちのくの山形やまがたあがたより東京へ帰りきたりて虹をいまだ見ず

斎藤茂吉『つきかげ』

 

 

前回、葛原妙子の最後の歌集からだったので今日は斎藤茂吉の最後の歌集『つきかげ』から。
『つきかげ』には面白い歌、興味深い歌がたくさんあります。
今日のは前半に出てくるもので、やや解説があるほうがいいかと思うのでします。

まず「あがた」とは「県」と書いて古代の行政単位。ここでは山形県(けん)でもいいようなところ、古代っぽく「あがた」と言ってるぐらいかと思います。
意味的には上句は「東北の山形から東京へ~」というのとほぼ変わらない。

そして、帰ってきたとはなにか。斎藤茂吉はもともと東京にいて、昭和20年に戦火を逃れて山形へ疎開、この歌は昭和23年のものなので、終戦後しばらくしてから、ようやくと東京にもどってきたという歌なのでした。

これは踏まえないと何言ってるかわからないと思うので言いましたが、
この歌の眼目的なところになる「虹をいまだ見ず」もある程度その筋から考えるのが妥当な気がします。
「虹をいまだ見ず」、歌としてはずばっと決まっているところだと思いますが、東京に帰ってからそういえばまだ虹のかかっているところを見ていないというぐらいの意味だと思います。

その間にあった敗戦ということがあまりに大きな出来事で、戦前ずっと暮らしていた東京に帰ってきてもピンと来ない感じが、この「虹をいまだ見ず」のバックグラウンドにはあるんだろうと思います。前後の変化はたくさんあるだろうけど、ここではあまりはっきりしたものではなくて、つかみがたい違和感のようなものが伝わる気がします。

 

軍隊がまたくなくなりあかあかと根源の代のごとき月いづ

 

こんな歌もある。GHQの強力な占領政策により、陸海軍が解体されました。自衛隊の前身となる警察予備隊が編成されるのもまだ先のことなので、「軍隊が全くなくなり」というのは、この時期だからほんとにそういう感じなのかもしれない。
三句以下の調子とちがって、「軍隊が全くなくなり」は素でそのまま言うような散文体になっているのが印象的です。
そして「根源の代」とはなんだろう。ここは謎めいた感じがします。軍隊とかなかったほんとうに太古の昔のことなのか。でも「軍」というもの自体はいにしえの昔からあるような気がしますよね。

少なくとも月の見え方がなんか違うっていう感じなのかなと思います。妙にあかあかとしている。これからどうなるかわからないけど、月だけはものすごくあかるく見える。それはちょっと、わかるような感じがします。

 

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