土谷映里「桜のかお」
会話を空間で比喩するというのが印象的で、
おだやかで自然なバイブスに、得がたいものがあるように思います。
とんがった感じの部分がないけど、ナチュラルにいろいろ起こっている。
はじめからいくと、
南向きの部屋のベランダが出てくる。静かな昼で、たぶんおだやかに日が当たっている。
そしてベランダは狭い。
「君との会話」は「その狭さ」だと言っている。
「狭さだな」には肯定的な響きがあるように感じます。
会話が狭いとはどういうことか。
ここでは、想定はいろいろ可能な気がします。
・その狭いベランダに君と一緒にいる。二人で狭い空間にいることで、「狭い会話」が生まれる。その親密さを言っている。
これはこれで可能だし、別に間違ってるわけでもないと思いますが、ちょっとベタすぎるような気もする。
・上句は和歌の序詞のように「狭さ」を導くものとして言われていて、特にベランダに一緒にいることを想定しなくてもいい。イメージや雰囲気でつながっている。わたしは一人でベランダにいるかもしれないし、頭の中のベランダかもしれない。
この場合は「狭い会話」が多義的になってくるかと思います。話題の狭さなども連想される。
通常悪い意味の「狭さ」が、南向きの小さいベランダのイメージを持って言われることで、何か日当たりのよいものとして響いてくる。
わたしはこの二本のラインのブレンドみたいにして読んでいます。狭いベランダに二人でいることを想定しないようなするような、という。
いずれにしろ「君との会話」が空間的に表わされるのが面白く、たとえば「近さ」ではないところが大事なのかなと思います。関係性として素敵なものに思える。
マッキーで名前を書いて紙コップ隣に手渡した春の夜
同連作からもう一首。大学のサークルや会社などで、お花見とかしてるんですかね。
書いてないけど、とてもそういう感じがする。わいわいしてて「隣」も闇の中にいる。
春の夜の夢っぽい空気と、紙コップの感触がくっきり残ります。
第二回笹井宏之賞候補作からでした。