松平 盟子 「短歌往来」 ながらみ書房 2021年10月号
「海馬の秋」33首より。
年をとって、身の衰えを感じながら、家事をこなすのは大変なことだ。生きるためには食べなければならないが、今日なにを食べるかを考え、材料をととのえ、料理をする。それだけでも大変なことで、だんだん面倒になり、いい加減にもなる。栄養不足に陥り、体調を崩すことにもつながる。だんだんと誰かが代わりにやってくれるならやってほしいと思うようになる。
ずっと家で暮らすと言っていた母が施設に入ったのは、自分ひとりで家事をこなすことに限界がきていたのかもしれない。
施設に入って家事から解放された母。「家事をせぬ安穏の岸辺あるきつつ」と表現されている。「岸辺」とあるのは、母が此岸の縁にいることを意識しているのだろう。
娘は母を「吹っ切れた」と感じ、その明るさを「妙な明るさ」と言っているところをみると、少し戸惑っているようでもある。
海馬から言の葉落ちるなりゆきに負けず嫌いの母はうろたう
だめなの、ここ、と母はじぶんの額をさすそのうらに海馬いっとう潜むを
今までになかった母の出現。それは、娘にとっては母の呪縛から解き放ってくれるものだった。
母の呪縛いちにちいちにち過去となる身めぐりの秋うつくしくすずし
ははそはの母のカオスの重力にあえなくゆれし葦なりしこと
母をおそれぬ母をにくまぬ境界へ一歩差し入りたしかむ影を
「母のカオスの重力」と言うほどに、母の存在は娘にとって大きかったようだ。その前では、か弱い葦のように揺れ、母を怖れ、時には母を憎んでもきた。それが今は、日に日に過去になってゆく。
今や、母を怖れることも憎むこともない。そういう境地にようやく至ったのである。
長かった母と娘との葛藤の終わり。身めぐりの秋を美しく涼しく感じられるのもそこから来ている。