佐藤よしみ 「帆・HAN」29号 2021年9月
「喘ぐ」30首より。
「ここもまた」とあるのは、辺野古のことである。
本島北部(ヤンバル)・奄美大島・徳之島・西表島が、ユネスコの世界自然遺産に登録されたが、どうやら辺野古は含まれなかったのだろう。
作者は、世界自然遺産登録の件が報じられたときに、「本島北部」とはどの辺りまでを言うのだろうという単純な疑問が心の中に生まれたという。きっと政府は辺野古(辺野古の海)はそこには含まれないという理由をいかようにも述べ、埋め立てを正当化するだろうと懸念したのでもある。それが「保護の手は政治の手にて折らるるごとく」という表現になっている。
「保護の手」と「政治の手」は異なる。むしろ「政治の手」が「保護の手」となって、辺野古の海を護っていかなければならないはずなのに。
あろうことか、沖縄戦による遺骨を含む本島南部の土を埋め立てに使うと言うのだから、どこまで「保護の手」を折れば気が済むのだろうか。
夏至南風吹き惑いつつ沖をゆく喘ぐものらの棲むあのあたり
喘ぎつつ土砂押し返す波が立つ辺野古の海の溟きたそがれ
ヤンバルの森の恵みが絶たれいる喘ぎか遠く海の哭くおと
夏至南風には、「沖縄で梅雨明けの頃に吹く南風」と註がある。喘ぐものたちの棲むところであれば、夏至南風も吹き惑う。「あのあたり」と、とおく沖を思うとき、「沖」は沖縄のことでもあり、作者は離れたところから沖縄に心を寄せているのである。
喘ぎは、辺野古の海から。それは、ヤンバルの森の恵みがもたらしたはずの海である。今、そこに行くことはできないけれど、自分の身に引きつけて、埋め立ての「土砂押し返す波」を思い、「海の哭くおと」を聴く。他人事ではないという強い思い。
作者は、横須賀市在住。
基地の街の住人であることがよりいっそう、沖縄に、辺野古の海に、と向かわせているのかもしれない。