永井 祐


痩せた娘の白いPSVITAかなあれはなんども溢れ出す河

井ノ岡拓「未のフーガ」

 

 

第一回笹井宏之賞候補作から。

PSVITAとはソニーが出している携帯用ゲーム機のことです。
すでに生産終了しているみたいですが。
正式な名前は、PlayStation Vita(プレイステーションヴィータ)。
この歌ではおそらく、「ピーエスヴィータ」と読ませている。

基本的なところからいくと、「娘」は昔の歌だったら「こ」と読ませるところかと思うのですが、「むすめ」と読むべきな気がする。確実にはわからない。好きなほうでいいのかもしれません。
「かな」は文語の終助詞「かな」なのかと思います。意味は詠嘆(~だなあ、など)。口語の「かな(?)」という説もないことはないか。
そして下句「なんども溢れ出す河」はPSVITAのことを比喩的に言っているんだと思います。

「白いPSVITA」とはどのようなニュアンスを持つのか。
ここは興味のない人には全然わからないところであり、わたしはその見当はつく気がする。というかわたしは「白いPSVITA」を所有しています。
携帯ゲーム機のニュアンスを掘ろうとするところが、そもそもこの歌が気になった理由でもある。
PSVITAは、たとえば「ゲームボーイ」ほどカジュアルなものではなく(時代も違いますが)、それなりにゲームやアニメが好きな人が持つものかと思います。
「痩せた」がありますが、まあインドア系の、フィジカルワールドを愛するタイプではなさそうな雰囲気は感じられます。
外でVITAを取り出してそれに熱中していれば、けっこう外の世界に対して拒絶的な感じも出るかと思います。「白い」も同じ方向において効いているかと思います。
主体はそれを見て詠嘆している。
「あれは」とあるから、そのゲーム機について自分もまた知っている。

「なんども溢れ出す河」は、めまぐるしく動くゲーム画面について言っているのかと思いました。最近のスマホゲームの画面などでもそうですが、ゲームにむしろ没入していない視点から見て、「溢れ出す」はわりと忠実に実感的な比喩なのかもしれない。
外から見るとよくわからない河がなんどもそこで溢れ出している。
あまり見るのはなんだと思いますが、たぶんごく淡い共感のようなものが歌のベースにはあるのかなと思います。

同じ連作からもう一つ。

 

深緑のセーターのままドトールの一つの池のような居眠り