山居にて一人遊びす股旅酒、山椒の擂りこ木、元の証拠干し

王 紅花 「夏暦かれき」54号 2021年10月

 

「山菜の天ぷら」30首より。

山荘で過ごす一人の時間。マタタビの果実酒を作ったり、山椒のすりこぎを使って料理を作ったり、摘んできたゲンノショウコを干したり。

時間はたっぷりあり、一人遊びするには周囲にいろいろなものがあって事欠かない。

そして、歌にするとき、もう一つの遊びが。

マタタビは漢字で書けば、「木天蓼」。それを「股旅」と書く。

マタタビは名の由来に食べるとまた旅ができるからとする俗説もあるようだが、「股旅」とくれば〝合羽からげて三度笠〟ではないか。博徒ばくと・遊び人が旅をして歩くにしても、芸者が旅かせぎして歩くにしても、なんだか浮き世離れしていて楽しくなる。猫をお供に颯爽と風を切って行く日もありそうな。

山椒は芽も実も香りや辛味を楽しませてくれるが、その材もすりこぎにして使う。擂るのはとろろか、胡麻か、近くで採れた胡桃か。すり鉢に当たる感触や香りや粘りも、一人遊びを豊かなものにしてくれたことだろう。

すりこぎは漢字で書けば、「擂粉木」「摺子木」。それを「擂りこ木」と書く。

「擂りこ」の木。ひらがなが入ることで、なんだか可愛い。可愛いと思って油断していると、雷も潜んでいる。〝小粒でもぴりりと辛い〟のは実のほうだが、すりこぎになっても嘗めてはいけない。

ゲンノショウコは、「現の証拠」「験の証拠」。服用後ただちに薬効が現れるところからこの名がある薬草だ。茎や葉を干して乾燥させ、煎じて下痢止めや胃腸薬にする。(そう言えば、マタタビや山椒にも薬効がある。)

「験の証拠」と書かれると、いかにも霊験あらたかな感じがする。山伏が持ち歩いて、各地に薬として配っていても不思議ではない。

ここでは、「元の証拠」と書いている。元気の証拠だろうか。何事かがあって、その元にある証拠を摑む、などということもあろうか。

言葉の遊びに時間を忘れる。

この一人の時間は、二人でいた時間があった後の時間ではあるのだけど。

 

きみが痕跡あと一つづつ消ゆ書棚から落ちし落書き先ほど捨てつ

朦朧としたる目覚めに人語聞く あれ、ここは何処 人語が聞こゆ

 

「消ゆ」「聞こゆ」、いずれも自分が意図したことではなく、消えるのであり、聞こえるのである。

きみの痕跡が一つずつ消えてしまうのを恐れながら、自分でも捨てるようなことをしている。そのことに気づいたときの作者の思いを想像すると言葉がない。

 

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