西堤 啓子 『あるがまま/スマイル』 青磁社 2021年
一方的にパンチを浴びつつけたサンドバッグ。
サンドバッグは、ドアを閉めて肩の力を抜いてから、ようやく眠りに落ちる。
人は誰でもサンドバッグになり得る。そして、サンドバッグにパンチを浴びせ続ける人にもなり得る。さらに、その二人が同じ家に暮らすということも起こり得る。不条理としか言い様がないが、不条理を引き受けて生きるしかない、という現実もある。
作者の場合、ウイルス性の脳炎にかかった夫は、一命はとりとめたものの、後遺症として高次脳機能障害が残った。一般的には人格障害として現れ、それに対する治療法は未だ確立されていないという。
「人格が変わることあり」とう後遺症見知らぬ人は日々成長す
暴言の後はけろりと吾がために本借り来ると言うアマガエル
アオサギがぐびりと魚を呑むようにまばたきをして人を呑み込む
イトウとうとぼけた顔の魚にて水底深くじっとしてみる
差し向かい話しかけても返事なく蟷螂のごとき咀嚼は続く
優しかった人、幸せだった二人の生活は、病によって失われ、日々見知らぬ人となっていく人との暮らし。それを思うと苦しくなる。
後遺症の現れ方は日によってさまざまで、時にはアマガエルにもアオサギにもイトウにも蟷螂にもなる。予想もつかないことではあるが、相手のあるがままを受け止め、なんとか少しでも穏やかな状態を保ちつつ一緒に暮らすことに心を砕く日々。
相手の変化を、アマガエルやアオサギにたとえて見るのも、一緒に暮らすための知恵であるのにちがいない。深刻さをユーモアに転じていく。
その表現にも目を瞠る。
「暴言の後はけろりと」アマガエル。この「けろり」から「アマガエル」に繋ぐ面白さ。
「ぐびりと魚を呑むようにまばたきをして」というアオサギ、「とぼけた顔」で「水底深くじっとしてみる」というイトウ、無言のまま咀嚼を続ける蟷螂。それぞれの生態のリアルな描写がそのまま比喩に繋がる面白さ。
身のまわりのものをいつも興味深く観察している作者なのだろう。実に健康な眼差しだ。それは、不条理と思われる現実にもへこたれない力とどこかで繋がっていると思われる。