鳶の声しきり悲しく流れくるうみぎしにゐて握飯むすび割りたる

玉城徹『徒行』

 

湖のそばにいて鳶(とび)の声が聞こえてくる。
そこでおにぎりを割ったのだった。
だいたいそんな歌かと思います。

とび=とんびの声、ぱっと浮かばないのでYouTubeで検索して聞いてみると、
たしかにちょっと悲しい感じでした。ピーヒュルルルルー。みたいな。
文字で表わしてもしょうがないですが、響いて余韻が残るような感じです。
これがしきりに鳴いている。湖のそばの広い空間に流れてくる。

そんな湖畔に「ゐて」とごく簡素につなげながら、
「握飯割りたる」。これがかっこいい。
何がいいのか。ここまでになかった縦のイメージがしゅっと出てくる。
「割る」という動詞にシャープな印象があります。
鳶の声が悲しく聞こえてくる湖のほとり、それなりにもったりして進んでくるんですけど、
結句でビッと決まるような感じがします。
「握飯」を「むすび」と読ませるのも、「割りたる」の連体形終止(短歌でよく出てくる。余韻とか強調とか言われるけれど、わりと意味より雰囲気の問題でもあるみたいです。)
も決まっているように思えます。

わたしは、普通おにぎりを山のてっぺんからいきなり食べてしまいますが、割って食べるのは上品なマナーのようです。
ただ、これはコンビニのおにぎりではなさそうだし、ちゃんと作ってきた、もっと大きなおむすびなのかと思います。

ピクニック的に湖のほとりでお昼を食べてるんだと思いますが、表現の仕方でずいぶん違うものだなと思う。「おにぎり食べた」と「握飯割りたる」でえらい違いがある。海原雄山とかはこんな風におにぎりを食べそうな気がする。

それで、この歌は実は五首の小連作「西湖、精進湖」の最後の歌。連作には最初に詞書きがある。「昭和五十二年八月F高校美術部合宿を引率、山梨県足和田郡根場群に滞留。」
だから、高校の部活の合宿を引率している先生の歌なのでした。

 

わが生徒画架を立てたる岩むらにひととき湖のさざなみを見む

 

こんな歌もある。
絵を描いてるんだと思うんですけど、生徒がイーゼルを立てることを言うのが、なんとなく趣がある。
絵を描いて、お昼になったらおむすびを食べる高校生の合宿。それを描くタッチにどことなく美的なものが溶け込んでいる。

 

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