沢田麻佐子 『レンズ雲』 青磁社 2021年
文語が使われていながら、全体に柔らかく解れているような文体。
「屋上に」「来れば」「あなたは」「ゆっくりと」と、どれをとっても口語の方に馴染んでいる言葉なのであった。
下の句にきて、「気付かぬ」の「ぬ」が打消の助動詞、「持ちたり」の「たり」が完了の助動詞だが、それとて口語の中にはみでてきたくらいのソフトな感じ。
はじめから終わりまで静かなトーンの一首になっている。
歌の内容は、濃やかな心情が詠まれているようだ。
ふたりで屋上に来たら、あなたはゆっくりと気づかないほどの距離をとったという。
「気付かぬほどの距離」とは、普通の人だったら気づかないくらいの、ごく僅かな距離という意味だが、「わたし」は「あなた」が僅かにとった距離に気づいてしまった。「あなた」が「わたし」からちょっとだけ離れたな、と。
それは、「あなた」にとっては自然な動作で、屋上に来て空にこころを放ちたくなったのかもしれない。少しだけ「個」に戻る時間。
おそらく「わたし」は、そういう「あなた」の気持ちも分かっているのだろう。それでも、「あなた」が「わたし」からちょっとだけ離れたと気づいてしまった寂しさを消すことはできない。どんなに仲が良くても、ひとりひとり別の存在であること。わかりきっていることなのに、それを改めて気づかされる瞬間。人がどうしようもなく寂しいと思う瞬間でもある。
そして、「距離」という言葉の持つ響き。「気付かぬほどの」であるにもかかわらず、「距離」となると、人それぞれの個別性が際立つような遠さを思わせる。それでいっそう寂しさが増す。
レンズ雲が山の真上にかかりおりそのまま暮れてゆかんとしたり
雲の影ぺらりと丘陵を走りゆくあのように死は訪れるのか
表情が見えているなら感情もあると思うよ空の雲には
美しく印象的な雲の歌がいくつもあった。
ひとりで、あるいはふたりで見た雲だったか。
「表情が」の歌は、「あなた」が言った言葉をそのまま書き留めたようでもある。