茶碗と急須の間に水溜りしづかにありて夜ぞふけにたる

森岡貞香『黛樹』

 

 

夜の卓っぽいですね。
わたしはこの歌を見るとデジャヴのようになります。
こういう水溜り見たことある。

この水溜りは、お茶をついだりしているうちに、ちょっとこぼれたりして
なんとなくできたやつなのかと思いました。
こういうことはある。
あるいは、お茶の前の食事のうちにできたものなのかもしれない。
だから、普通は水溜りと言わないかもしれない。机の上にこぼれた水分がそのままになっていて、表面張力によってふくらんでいる。

自宅での夜の食事のあと、という感じがします。
食器を流しに持って行って、最後にお茶を飲んでゆっくりする。
お茶もおおかた飲み終える。
机の上は片付けたあとだから、茶碗と急須だけが置いてある。
なんかこぼれているだけだけれど、そうだと思って見れば水溜りで、それは茶碗と急須の
間にある。夜が更けていく。午後10時に近づくくらい、個人的には。

夜の落ち着いたひとときなんですけど、この歌はものを思いにふけっているというよりは、
ただぼっとしているというか、すごく無心な感じがします。そのへんが好きです。

それで、この歌は下句がきっちりしているんですけど、上句の韻律がふわっとしています。
形式的にはそれが特徴的に目につく。
解釈すれば、初句「茶碗と」が4音で字足らずということになるかもしれませんが、
わたしの感覚だと、初句二句「茶碗と急須の間の」は句が定まらない感じでふらふらっと読んでいく感じなのかなと思いました。三句「水溜り」5音で少し安定する。
いちおう破調の韻律ですが、この歌は内容がおだやかな感じですよね。ここがけっこう面白いところで、破調の場合だと普通は大きな感情の揺れの表現だったりするのですが、森岡さんの歌の場合はこういうかなり何気ないところの韻律が揺れる。
わたしはそれが好きで、夜の卓の「急須と茶碗の間」が何か不安定に揺れる。そういう<揺れ>のほうが本質的な気がしてくる。

最後に「夜ぞふけにたる」。百人一首の歌で「夜ぞふけにける」という結句の歌があると思いますが、「ふけにける」のがたぶん定番の行き方。
この歌では「たる」、助動詞「たり」のほうが選ばれている。
あまりくわしくはわかりませんが、「ける」(「けり」)とすると詠嘆の色が強く出るかと思います。よりしんみりしてくる。「たり」(「たる」)は完了・存続の助動詞で、こちらだと詠嘆は薄くなり、存続(~ている)のニュアンスが出てくるのかと思います。「夜は更けていった」という感じでしょうか。

 

 

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