井辻 朱美 「短歌」2021年12月号 角川書店
「ヘヴンは在ると」10首より。
少しずつ音質を変えながら高まっていく音楽。それは、空に聳え立つ音の尖塔のようである。ラヴェルの「ボレロ」を思ったが、あるいはもっと相応しい曲があるのかもしれない。
その尖塔は今、夕映えのなかにある。いや、「尖塔が吐く無限の夕照」となれば、その尖塔こそが夕照を無限に生み出しているのである。
たとえば、東京スカイツリー。そこを基点にして広がる世界の夕照。その景は、世界の終わりの景なのか、祈りの先にある天国の景なのか。あるいは……。
ところで、「夕照」と言えば、仙波龍英の歌である。
夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
仙波龍英 『私は可愛い三月兎』(1985年刊)
言わずと知れた渋谷のPARCO三基であったが、今では知らない人も多いことだろう。
この仙波の歌では、夕照のなかに聳え立つPARCOが墓碑のように歌われていた。夕映えに包まれた静かな景が、そのまま廃墟となった世界をうたっているようでもあった。
井辻の歌、どこかで仙波のこの歌と響き合っているような気がする。
1952年生まれの仙波。1955年生まれの井辻。年の差、わずか三歳。生まれ育った時代の重なり。共通のものを見ていたこともあっただろう。
一連から、もう一首。
ディグニティとは白金の糸みつめれば久遠の凧をひいて去る声
ディグニティとは、尊さ・気品・気高さ・尊厳。見えないものだ。どこかにある大切なものだが、めったに見かけることはない。それを「白金の糸」と言う。
鮮明な光沢をもち、展性・延性に富み、高温に熱しても酸化されないプラチナの糸。輝きと強靱さにおいて信頼度は抜群だ。
それをじっと見つめていると、「久遠の凧をひいて」いると言う。「久遠の凧」。無くなることなく、ずっと在りつづけるもの。普遍的なもの。
白金の糸に繫がれている久遠の凧は、希望を感じさせる。そして歌は、「声」で終わる。
ボブ・ディランに「ディグニティ」という曲がある。ずっとお蔵入りになっていたのを2020年になって発表したという。もしかしたら、作者の中にはその歌声が響いていたのかもしれない。どうかな?