マンションの五階に住みて山鳩のこゑよりうへに朝々目覚む

高野公彦『雨月』

 

 

また休んですみませんでした。
一年でもっともたて込んでいたところが終わったので、残りは普通にいけると思います。おそらく。

今日の歌は昭和61年の歌。歌集『雨月』から。
マンションの五階に住んでいて、朝の目覚めに鳩の声がするんだけど、下の方で鳴いているのがわかる。
高層階に住んで暮らしてることの不思議な感じを言っているのかなと思います。

「山鳩」はキジバトのほうが正式な名前みたいです。
公園で群れているような鳩はドバトで、それと違う種類。
キジバトのほうは、市街地にもいますが、もうちょっとレアであり、単独またはつがいで行動する。
YouTubeできくとよくわかりますが、おなじみのあの声で鳴きます。
ただ樹上などで鳴くので、鳩のすがたが見えないまま声だけが聞こえるという状況のほうが多いのかもしれない。

「こゑよりうへに」は面白いところだと思いますが、
地上の人間とか犬猫の層があって、「山鳩のこゑ」の層はそれより上にあるのかと思います。
そしてそれより上に朝々目を覚ます。
とてもさらっと言っているけれど、「山鳩」より上でなくて、「山鳩のこゑよりうへ」としているところも読みどころな気がします。声だけが下から聞こえて来る。声という、より実体から遠いものから、下の方にある雲のような層を感じる。

高野さんの歌、いつも人間界全体を相対化するような、ふわっと浮き上がるような一瞬がある感じがするのですが、この歌にもそれがほのかに感じられる。

 

梅雨ふかくいちじくの葉は朝しづく夕しづくして人語じんごとほしも

 

こういう歌にはより<思想>がはっきり見えて、
「いちじくの葉」の「朝しづく夕しづく」は、人の言葉からとおい何かである、って言っているように見えます。要約するのもなんだし、解釈はほかにあるかもしれないですが。
ブログなどまさに人語でしかないようなものなので、ちょっと怒られているような感じもしないでもない。
でも、要約でほどかれないような歌の力って感じるんですよね。

ぼんやりしてきましたが、今日はここまでで。

 

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