米寿まで生きながらへたこのからだ母より享けて母をすまはす

中道 操 『人間の声』 六花書林 2021年

 

「米寿まで生きながらへた」という言葉に、作者の声が重なる。

自らの身体を思うのである。そして、このからだは、「母より享けて母をすまはす」と。下の句は、「母」が繰り返され、母への感謝がやさしく響く。

「享けて」という表記。「授かって」の意である。母より授かったこのからだは、お陰様で米寿を迎えることができ、今なお母はわたしのこの身体の内にいるのですよ、と言うのだ。この世に生を与えてくれたこと、米寿を迎えられるほどに丈夫な身体を与えてくれたこと。長生きの寿ぎを受けながら、あらためて思われる母である。

 

きさらぎはわが生まれ月たらちねの母わかくして逝きましし月

 

続く歌では、二月の自らの誕生と若き母の死が歌われている。

あるいは、出産と引き換えるように母の死があったのかもしれない。「逝きましし」の「まし」は丁寧を表す助動詞、その後の「し」は過去の助動詞。母を大切に思う気持ちが込められている。

 

梅雨明けを牛蒡の広葉畑にゆれ里子なりにしとほき日のたつ

里親のぢいぢと畑ですごししよ千日紅の花が咲いてた

いちじくの「いち」はちちとぞ若く逝きし母を恋ひつつ無花果を裂く

 

歌集のあとがきや著者略歴によれば、作者は昭和7年生まれ。津田塾大学英文科を卒業し、演劇に関わったり、教師になった時期を経て、職業を得て上京、その翌年に結婚。さまざまな国を旅し、何冊もの随筆集を出版、それによる賞も受賞している。きっと実りある豊かな人生を歩んでこられたことだろう。

そういう人にして、米寿を迎えた今「若く逝きし母を恋ひつつ」があること。随筆のように書かれたあとがきでも触れられなかったことが、歌集の終わりに作品として入れられていることに深く瞠目した。

 

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