岡野 大嗣 『音楽』 ナナロク社 2021年
高速道路の入口から入って、高速道路に乗るときは一気に加速する。「加速して高速道路へ」は、その時のこと。「高速道路へ」の「へ」という方向を示す助詞が、スピードを上げて向かっていく感じ。
乗ってしまえば、その速度を保ちつつ車を走らせる。しばらく走っていると、高速で走っていることを忘れてしまうくらいになる。なにも考えなくても快調に車は進む。頭の中が真空になったような感じ。「時はゆったり時だけをする」とは、その感じを言うのだろう。時間の感覚が再認識される。
高速道路になじむ。スピードに馴染み、運転している者は余計なことを考える必要がなくなる。無の境地になる。神経はそれなりに緊張させているのだけれど。
丁寧に言えば「加速して高速道路へ、やがて高速道路になじむとき」ということなのだろうが、「加速して高速道路へなじむとき」と助詞の「へ」から「に」の変化がすっ飛ばされた感じである。そこには、ちょっと違和感をもつ。
しかし、「加速して高速道路になじむとき」では加速のスピード感が伝わらず、ここはやはり「加速して高速道路へなじむとき」の方が良さそうだ。読者に〝おやっ?〟と思わせるのも、ひとつのテクニックではある。
交差点の小雨を夜に光らせて市役所前のうつくしい右折
交差点にいるのだな、夜で小雨が降っているのだな、そこは市役所前なのか、と思っていると、「うつくしい右折」である。結句まで来て、車を運転していることが分かるという仕掛け。
やられた!という感じだ。
「小雨を夜に光らせて」という表現も詩的で洒落ている。「うつくしい右折」とまで言わなくてもと普通なら思うところだが、最後に置いたことで鮮やかな完結となった。