十三階より眺むればあかときの救急車にはあぢさゐが似合ふ

塚本邦雄『黄金律』

 

91年刊の『黄金律』から。
「あかとき」は夜半から明け方のこと。夜明け前。

「あかときの救急車にはあぢさゐが似合ふ」。
この断定フレーズが気になってとっているようなものなのですが、そういうものだろうか。

早朝、高層階から薄暗い中を救急車が行くのを見る。
サイレンを鳴らしてるのかわからないけど、静かな時間を急行している。
「あぢさゐ」はどこにあるのだろう。
紫陽花の庭とか垣根みたいなものが同時に見えるのか、心の中で当てている感じなのか、どっちともわからない。

わたしは花のことはそれほどよくわらないけど、群れて咲く紫陽花の花のあの青から赤へのグラデーション感、それと、六月ごろの夜明け前の薄暗さの中で空いた道路を行く白い救急車の感じは、合わさって一つの印象ができる気がします。言われれば似合う。「救急車には」ではなく、「あかときの救急車」でないといけない。
夜明け前の救急車に似合うものは何? というトリッキーでなんとなくアイロニカルな設問を自分で出して自分で答えるような形も面白い。

夜から朝へ向かう「あかとき」と紫陽花の色の変化の符号は、たぶんあると思うのですが、しかしそれはイメージ上の話なのかもしれない。
調べてみると、紫陽花はもともと、萼が4枚あることから死に通じるという話があるそうです。お寺に多かったり仏様に供える仏花に使われることも多かったりして、縁起の悪い印象があった。
さらにあからさまなのは「十三階」。13は西洋においてもっとも忌避される忌み数である。
このあたりを考えると、「あかときの救急車には死が似合う」という命題が裏にあるのが読み取れそう。というか、そう考えざるを得ない気がします。
夜の救急車より明け方の救急車のほうが死に近い。夜にお酒飲んだり暴れたりして呼ばれる救急車より明け方のがやばい。それはそんな気がする。

先にやった感覚(イメージ)パズルと後の論理(数字)パズルが二重になっているような感じなのかなと思います。その連立方程式を同時に満たす解が「あぢさゐ」である。

妙にくっきりした読み方になりましたが、「あかときの救急車にはあぢさゐが似合ふ」は人の頭に強引に割り込んで座をしめるようなフレーズパワーも感じます。

『黄金律』からもう一首。

 

われ死して三世紀後の獣園に象はくれなゐ蠍はみどり

 

これはかっこよく、同時に手癖で一瞬で作ったようにも見える。

 

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