久我 田鶴子


一葉を地より拾ひて手渡せばそのひとひらはすでに恋文

三留ひと美 『美しき筥』 現代短歌社 2021年

 

地面に落ちていた一枚の葉を拾って、誰かに手渡す。その時、その一枚の葉は、すでに恋文なのだという。

どんなにささやかなものであっても、手渡すという行為の中にある、相手への愛。愛と言っては少し照れくさい。相手を思うこころ、とでも言おうか。

手渡したものが一枚の葉であれば、その葉は「すでに恋文」であるということに妙に納得する。いつだったか、私が摘み取ったばかりのアララギの実をそっと差し出したのもささやかなギフト、今から思えば恋文であったのかもしれない。

「一葉」と出されたものが、下の句では「そのひとひら」と抱え直され、「すでに恋文」とさらりと終わる。「恋文」という古めかしい表現も、ここではゆかしい。よろしきものは、時代を超えて伝わっていく。

 

秋薔薇が見ごろと伝へそれとなく君をさそひてたそがれどきは

 

この歌では、「秋薔薇が見ごろ」という言葉が手渡されている。それは、それとなく君を誘う言葉であって、相手がそれに気づいてくれるのかどうかは分からない。でも、こちらからはあからさまではない表現で思いを伝えたのである。

秋のたそがれどき。人の恋しくなる季節でもある。「秋薔薇が見ごろと伝へ」に始まって、「それとなく君をさそひてたそがれどきは」とつづく言葉の流れがまた心憎い。人のこころの機微を心得ている作者であるにちがいない。

 

話しかけないことが何だかいいやうで耳川みみがはにかかる橋を行き過ぐ

ゆくりなく冬の風鈴なりはじめしづまる部屋に貫入を生む

大空へ発ちたる鳥は目に見えぬほどのしつけの糸を引きゆく

 

「話しかけないことが何だかいいやうで」、「ゆくりなく……なりはじめ」、「目に見えぬほどのしつけの糸を」。

これらの歌も、こころの深いところで思ったり、聞いたり、見たりしながら、周囲としずかに繋がっていて、思いがけないような広がりを感じさせてくれる。