古谷 智子 『ベイビーズ・ブレス』 ながらみ書房 2021年
2016年11月19日に他界した稲葉京子への挽歌。
欲しいものを聞かれた稲葉さんは、歌以外は何も望まなかったと言う。「望みたまはず」という敬語表現に作者の敬慕の念が示されている。
稲葉さんのことを詠っている四句目までに対し、結句の「忘れずあらむ」は作者の思いである。終わりの「む」は意志の助動詞で、忘れずにいよう、と言うのだ。1字アキにしたことで、ぐっと思いの籠もった結句になっている。
同じ結社に所属する先輩歌人というだけでなく、歌ひと筋に生きた、そのストイックなまでの姿勢にこそ、作者の敬慕の念はあるのだろう。「忘れずあらむ」には、作者自身の作歌に対する覚悟の響きもあるようだ。
霞草をベイビーズ・ブレスと詠み給ひし師のこゑこぼるるつややかな種
この歌は、作者の師である春日井建を追慕した歌。
春日井の「しろき息ふはふは飛ぶか赤ん坊の溜息と呼ばふ霞草の束」(『井泉』)を元にし、師の声を「つややかな種」と詠む。「つややかな種」を受け取った作者は、それを発芽させ、茂らせ、新たな花を咲かせてゆくのだろう。
死者もまた甦るべしベイビーズ・ブレス芽吹く地ほのかなみどり
「ベイビーズ・ブレス」が三句から四句へ跨がってゆき、四句目の「ブレス芽吹く地」が、息の芽吹きを、死者の声が甦るのを鮮烈に印象づける。
人が死んでも残るもの、受け継がれてゆくもののあること。
結社に所属するということは、師と仰ぐ人や尊敬する先輩歌人が零していった「つややかな種」を育んでゆくことでもあろうか。脈々と繋がっていくものの尊さを思った。