永井 祐


高級なティッシュの箱のしっとりとした動物の寝ている写真

𠮷田恭大『光と私語』

 

 

ティッシュの箱に動物の写真がプリントされている。
こういうのある。モノクロだったりして、毛並みのつやとか曲線が、なんとなくグラマラスでラグジュアリーな感じがするような写真。
モード系の雑誌をめくったりすると見るようなやつ。
かたよったイメージかもしれませんが、わたしはけっこうくっきり、ああいうやつという風に浮かぶ。

それに「しっとり」という言葉を当てる。これはたぶんわりと雑な言い方で、
「なんかしっとりしてるよね、」みたいな、写真に対する突き放し感とか冷め方みたいなものが感じられる。同時にアイロニカルなわけではない気がする。
「動物」も、とりあえず動物という感じで言っている。
「しっとりとした動物」はだいぶ変な表現で、それが面白いわけだけれど、こういう雑さに対してわたしは共感的である。ラグジュアリーな写真とか、こんな感じに見える。

同時に「しっとり」はきっと、「ティッシュ」にもかかってくるというか、文法的にはかかっていないけれどイメージはかぶさってくる。高級な肌触りを実現したティッシュのしっとり感というのもフラットなトーンでとらえられている。

文体的には助詞の「の」が多用されるのが目につく。

 

高級なティッシュの箱にしっとりとした動物が寝ている写真

 

これは二回目の「の」を「に」に三回目を「が」に変えてみたものです。
ほぼ同じ内容ですが、雰囲気はけっこう変わり、違いを考えていくとこの歌の文体の妙みたいなものは見えやすくなる気がします。
「箱に」とすると、三句以降のパートとの区切りがよりくっきりして、もっと構造がかっちりする感じがします。逆に言うと原作はもうちょっとのっぺりとつながっている。
「動物が」も変化の方向は同じ。動物がもっとくっきり立ってくる。
もっと言うと、「に」「が」バーションだと何か歌がはきはきしてくる感じがする。「~に、~が、ありますよ!」とちゃきちゃき仕分けされていく。
逆に言うとこの歌の「の」の多用は、ノットはきはき・ちゃきちゃき、つまりダウナーな漠とした雰囲気を作っているように思われます。

ダウナーで一歩引いた知的なセンスを感じる歌でした。でも写真のグラマラスなものはどこかに残っている。そのへんの塩梅がいい感じがする。

結句「~写真」で終わる歌って、ときどき見ますがハードル高いと思います。センスをシビアに問われる。