久我 田鶴子


働くは自己実現といいさして/否、生きていく技術とおもう

奥田 亡羊 『花』 砂子屋書房 2021年

※作品は2行分かち書き。/以下が2行目になる。

 

作者が高校生自立支援の相談員として、埼玉県北部の定時制高校をまわっていた頃の歌。自立支援の相談とは、具体的には就職相談であったようだ。

「働くは自己実現」と言いかけて止め、いや、そうじゃない、「生きていく技術」と思う。

実際に相談に来た定時制高校の生徒たちを目の前にして、「働くのは自己実現のため」などという自立支援のマニュアルにでも書いてありそうなことを言っても意味はないと思ったのだろう。もっと現実に即した言葉で彼らに向き合おうとするとき、浮かんできた言葉が「生きていく技術」であった。

懸命に自らの力で生きようとしている生徒たちの前では、向き合う大人のほうが試されることになる。

 

カミラ、ロン、オク、マクジムス、名を呼べば

森に始まる物語めく

 

この歌には、「外国名の生徒が多い」という詞書がある。定時制高校に見る、現代の縮図でもあろうか。

それにつづく歌は、次のようなもの。

 

声低き者に交じりて生きゆくは

羊歯をかかぐる歩みに似たり

 

「森に始まる物語めく」を受けての、「羊歯をかかぐる歩み」である。光の充分とどかない森の中で、声を響かせることのできない者たちとともに、生い茂る下草を掻き分けて進んでゆく。先導する者の目印にと掲げる羊歯だ。それは生い茂る草に紛れてしまうような頼りなさではあるけれど、それが今の自分にできることであり、それを精一杯にやるしかない。

あとがきには、「彼らは誰もが規格外で、漫画ばかり描いている者、鹿の解体の仕方を丁寧に説明してくれる者、なかにはラーメン屋を経営していて、私の何倍もの収入を得ている者もいた。こちらが生き方を教えてもらうようで、彼らに会うのはとても楽しかった。」と書かれている。

その後、この仕事から離れてからも折に触れ、あのときの高校生たちのことが思い出されると言う。作者が体験したことは、これからの仕事にもいつか必ず活かされていくことだろう。

作品の表記は、2行分かち書き。読みやすさに配慮した結果だという。