あるところ辛辣しんらつにほひただよへる盛場を今日稀によぎりき

佐藤佐太郎『冬木』

 

 

来年、佐藤佐太郎をじっくり読み込むという機会があります。
それが楽しみなので、年末の今日はふたたび取り上げたいと思います。

歌集は第八歌集『冬木』。ちかごろ気になる歌集。全体の中だと後期の入り口という感じなのかなと思います。
「盛場」は、普通に「さかりば」だと思われる。今でも日常語の範囲で使われるけど歓楽街、繁華街のこと。

盛り場は、視覚的にも嗅覚的にもどぎつい部分がある。ほかの地区にはないような、特有の強い匂いを感じるところがある。
そこに「辛辣に」という言葉を持ってくる。
「辛辣」はふつう、見方・言い方や表現などが手厳しいさまをいう。
だから、匂いのことに使うのはイレギュラーで、しかしここはすごく決まってるなと思う。
必ずしも嫌な匂いでなくても、強い匂いは攻撃的な感じがあって厳しさを与えてくる。

考えてみると、「きつい匂い」「匂いがきつい」という表現にもけっこう似てるかもしれない。
しかしこれを「きつく匂ひのただよへる」とか「匂ひのきつくただよへる」としてしまうと、作品としては雲泥の差になりますね。
「辛辣」の語を持ってきているところがやはりよくて、漢語の響きが際立ち、語のカテゴリの越境の大胆さも印象づけられる。
また、「辛辣な」でも決まらない。「辛辣に」は「匂」でなくて「ただよへる」にかかって、匂いそのものではなくてただよい方が辛辣なのである。その匂いのする「ところ」「場」が主なのだと思う。
ところでこの歌も二句が8音で字余り。初句はプレーンにすっと入って、二句でキマる。

下句は一転、けっこうぼんやりしてると思います。
「今日稀(まれ)によぎりき」。稀は今日の中で稀なのか。<these days>の中で稀なのか。
この書き方だと、今日の中で稀ってことですよね。普通に考えれば。
今日の中で稀とはどういうことか。昼と夜で二回、とかなのだろうか。
この歌は一日を思い返している歌である。
棒のように伸びている一日の時間の中で、ぽつんぽつんと点のように、繁華街の匂いのきついところを通った。
こんな感じなのかなと思いました。思い返してみると、その匂いの感じと、盛り場のことと、一日の中でのその「稀さ」が浮かんでくる。とめどもない思いでありつつ何か抽象的な感じもする。また、
「今日はたまに強い匂いがするところを通りました。」みたいな、
ぼんやりした小学生の一行日記のような雰囲気もある。
わたしはこの下句のほうにも惹かれるものがあります。

 

では、今日で担当は最終回になります。
今まで読んでくださり、ありがとうございました。
思った以上に多くの人が読んでくれるものだなと感じました。
またどこかで。
よいお年を。

 

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