薄曇る空を小さく切り取りぬサランラップの芯を覗きて

鶴田伊津『夜のボート』(六花書林、2017年)

 

使っているあいだは箱におさまっているので、使い終わったサランラップの芯であろう。箱から取り出して、なにがあるわけでなく、空を覗いてみる。すると芯の奥に、まるく切り取られた今日のくもり空が映る。薄曇る、であるからいかにも曇り、というふうでもなく、しかし晴れでもない。うっすら雲のかかった空である。なにがおこるわけでない、しずかなしずかなうたである。

 

サランラップというのは、たとえば電子レンジでなにかを温めるときに器にかけて使う。握り飯をつくるときに使う。あるいは食べかけのものに、仮に蓋をしておくのに使う。

 

そういう場面をいくつか想像してみれば、サランラップというのは薄い薄い窓でもあって、それによってある区切られた世界を生ぜしむるものでもある。ときに、のがれようのない水蒸気が結露をつくって視野をさえぎる。「薄曇る」も「切り取」るも、どこか縁語的にサランラップとひびきあうようだ。

 

一冊はどのうたもしずかながら、よく読むと大胆にも世界へ向かっていく意気に満ちている。じわじわとおしてくる。このうたも、ささやかなたわむれのようでいて、そのじつ「薄曇る」世界をじっと見つめるうたなのだとおもう。母と子の、息詰まるような日々にあって。

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