久我田鶴子『雀の帷子』(砂子屋書房、2020年)
近所の小公園に辛夷の木があって、今年も冬の芽を膨らませている。週に一度か、少ないときには二週にいっぺん、公園のかたえでバスを待つのだが、そのたびに大きくなっている気がする。いかにもぬくそうな芽鱗がうらやましい。春が近づいているのだ。
掲出のうたは、「つちのなかより」とあるとおり草の芽である。見るのは毎年のことかもしれぬが、その芽にとってははじめての春。まこと「今年の芽」である。「つちのなかよりあらはれい」でんとし、わずかにも土もちあげてその芽を出す。小さな小さな芽。それを「いまだ陽を知らぬ白さ」と言ったところがいい。はじめ「白」いのが、陽のひかりをあびてじきにみどりになっていく。茎をのばし、葉をふやす。
植物であるから、陽を「知」るとか「知らぬ」とか、どのくらいあたっているかはわからない。どこかで当然、ひとの物差しが当てられている。あるいは長く教職にあった作者の、たとえば新入生を迎えるおりの眼差しにも、通うところがあろうか。春はなんどもめぐるけれども、「今年の芽」は今年だけ。そこにやさしい視線がそそがれている。
「いまだ陽を知らぬ白さに」のやわらかな導入に、イ段の頭韻やちりばめられたsやhのささやくような音のあることを、あわせて記しておく。人の出た一首とおもう。