大口玲子『海量』雁書館,1998
前回、正体のわからない「声」の持ち主について書きながら、ふと思い出した、またべつの「声」の謎に包まれた歌を。
十年ほど前、わたしが初めて応募した福島県の高校文芸コンクールの授賞式に、講師として登壇されたのが大口玲子氏でした。
大口氏はたしかそこで、短歌という詩型のもつ音韻の効果についてお話されて、そこで作者自ら読み上げられたこの歌に、なぜかとても不思議な興奮をおぼえたのでした。
おそらくは日本語のネイティヴではない人物に、文法の正しいやさしい日本語を教えているらしい作中の主体。
この歌の中で実際に発話しているのは「ルーシー」です。
それなのに、彼女の声を借りて、知らない誰かの言いようのない寂しさが沁み込んでくる。
大切なのは一度きりではなく「二度」言わせたということで、
五音と七音の連なり、この限られた空間に切実な響きをともなって、リフレインされる「さびしかつた」。
耳に残るこれはいったい、誰の声なんだろう?