もうそこまで青い闇が来ているのに風景を太く橋が横切る

中津昌子『記憶の椅子』(角川文化振興財団、2021年)

 

もうそこまで/青い闇が/来ているのに/風景を太く/橋が横切る

 

と切って読んだ。上の句は破調をおこしながら、下の句がそれを収めて一首として立たせるつくりである。わたしはこういう破調に親しみがあって、下の句あるいは結句さえ定型にかえってくれば、それまではなにをやってもいい式の破調である。これとは逆に、初句あるいは上の句(つまり導入部分)は定型をまもり、一首へしぜんにいざないながらその後、破調をひきおこして展開をうむ(あるいは「収まる」という在り方をさける)タイプの破調も存在する。

 

いま便宜的に上の句をみっつに分けたが、実際にはもうすこしなめらかに一息に、といった呼吸でつぶやきのように読み、下の句で意識がしっかり入るというか、輪郭を得ながら短歌の声になる、という読み方をしている。夜にさしかかりながら、眼前を闇がひたしていくのを、(それなのに)そこに「太く橋が横切る」。「青い闇」は絵画的色彩をおもわせながら、それとは不釣り合いの「橋」の異様が印象深い。

 

ものの境のあいまいになる空間と、そこにくっきりとある橋との対比がそのまま、上の句の破調のリズムと下の句のそれとの差にあらわれているようだ。そこに、音からくる印象のちがいを付け加えることもできるだろう。異界へまぎれこんだような心細さを、はつかおぼえる。

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