一生分の牡蠣を食つたと言ふ奴もみんな一緒にあたらうねと言ふ奴も

永田和宏『某月某日』(本阿弥書店、2018年)

 

毎日一首以上をつくるという連載がまとまった一冊から。2月27日(金)の日付がつく。2015年のうたである。うたの状況は、詞書から抜き出せば「夕方より研究室で牡蠣パーティ 学生の親からの差し入れ 岩牡蠣一缶、剝き身も2.5キロ、食いきれない」。

 

まあ、とにかく「一生分食つた」という奴もいて、「みんな一緒にあたらうね」と冗談とばす奴もいて、にぎやかな会である。ほかにもいろいろいう奴がいて、というのがこの単純なリフレインから伝わってくる。

 

「奴」ということばは、永田和宏の語彙といってもいいくらい、うたに出てくる。そしてそれが嫌みなくすんなりとおる。どのうたをとっても話し言葉という意味で口語的で、そこに一本声のとおるようなうたの姿をしていることと、かかわりのないことではないだろう。

 

一生分の/牡蠣を食つたと/言ふ奴も/みんな一緒にあたらう/ねと言ふ奴も

 

と、七・七・五・十一・七に切って読んで、この字余りもごく自然で、そのうたい口やまこと永田和宏である。一生一緒にいてくれや、なんて一節があったが、このうたでも「一生」「一緒」の反復がたのしげにひびきながら、「一生分の」「みんな一緒に」が、場面のスケールを伝えている。

 

うたはいわば引用からのみ成っている。「このさわがしき学生らのをさ」としては、もうそこにおなじ温度でまじることはないのだろう。そういう寂しさが、あるいはまばゆさが、ほのかにもにじむ一首である。

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