魚村晋太郎『バックヤード』書肆侃侃房,2021
先週末、ひさかたぶりに出先で雨に降られて、コンビニに駆け込んで傘をもとめる、という無駄づかいを経験しました。
店員さんが「すぐに使いますよね」と言って、外側のビニールの包装をといて渡してくれたのですが、びりびりと破かれるそのビニールを目にしたとき、ふと、この歌のことを思い出したのでした。
傘を使わずに失くす、というのはいささか不思議な状況です。
そのひとはどうして真新しい傘を持っていたんだろう。どうして使わなかったのだろう。
現実に落とし込んで想像しようとすると、どうもなかなか難しい。
情報量も感情の吐露も少ない一首ですが、「誰かがほどくだろう」とか「ほどいてくれるだろう」ではなく、「ほどいてくれる」の言い切りの形に、期待と、その裏返しの諦めを感じることはできます。
「ほどいてくれる」には謎がもうひとつあって、傘を使うための行為は「さす」か「ひらく」というのが一般的かとおもうのですが、そのどちらにも当てはまらず、ここでは「ほどいてくれる」と言い表されている点。
「ほどく」は結んであるもの、あるいはもつれているものをときはなす(解離す、と書くらしい)、という意味合いを含みます。
つまり、未使用でありながらすでにこじれてしまっている何かを、自分ではない誰かが解離すことを暗く祈り、願っている。
さきに「現実に落とし込んで想像しようとすると難しい」と述べましたが、ここでは「透明な襞」がまさに、「傘」をなくしてしまったそのひと独特の、目には見えないこころの襞を表しているようです。クリシェとしての「心の襞」という言葉とは、おそらくは全く別のものとして。