外塚喬『散録』(短歌研究社、2017年)
「お互ひ」に物忘れしるき齢となった。あれを忘れこれを忘れ、昨日忘れて今日も忘れる。大事にはならないが、なにかと忘れやすい。それでも、「互ひ」に「互ひ」のことを忘れるというところまでは、まだ、至っていない。そのことにすこしく安堵する。
と同時に、そういう〈いつか〉を想像して、おそろしくもなる。「いたらず」と述べることで、そうではない、「いた」ってしまった場合をおもわせる、というのはよくある修辞だが、ここでは、このことばあそびのなかにただようある種の余裕が、いっそうその〈いつか〉を強く印象づけるようだ。
ことばあそび、と言ったのは、すなわち「お互ひさまなれど」といういささか定型句めいた箇所から、その「お互ひ」をひきとって「お互ひを忘れるまでにいたらず」、と「お互ひ」を重ねて述べた部分のことである。前者があるいは序詞的に(ひかえめに)はたらきながら、下の句を導いているようにも映る。
「互ひを忘れる」ではなく「お互ひを忘れる」という他人行儀ふうの言い方が、こころに残った。リフレインの要請ではありながら、しかし、そのうちにひそむ不穏をおもう。