わが胸によき思ひ出の幾つもを残してきみは在らずなりたり

橋本喜典『聖木立』(角川文化振興財団、2018年)

 

わたしの胸のなかに、たくさんのよき思い出をのこして、きみはいなくなってしまった。挽歌である。「挽歌七首」という詞書のついたパートの、二首目に置かれている。

 

うたはまず、わたしの胸にのこる、さまざまのことをおもわせて、亡き「きみ」の存在感をかきたてる。訃報をうけて、よみがえるものもあっただろう。たとえば「幾つものよき思ひ出をわが胸に」という語順でないことが大事とおもう。いままさに「わが胸に」湧くように思い出されること、それがつぎつぎ「きみ」の姿を胸中にめぐらせること。ことばにことばを接ぐような呼吸がなまなましい。

 

そして「残して」ときて、そこにもうくわわることのない思い出たちを予感する。残されてしまったものとしてのわたし、「幾つ」あっても残ったものだけが「きみ」の姿となってしまった。すなわち「きみ」の死である。

 

結句「在らずなりたり」、在るということが、在るというかたちがなくなってしまった、決然としたひびきが、その不在をつよく印象づける。ここもたとえば「在らなくなりぬ」では深い呼吸はあっても喪失感はあわい。「きみ」の姿を、一瞬にして消し去ってしまった死というものの前に、深い悲しみが屹立する。

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