お母さん、息をしてよとぴたぴたと頰を打てども息は消えたり

吉川宏志『石蓮花』(書肆侃侃房、2019年)

 

亡くなっていく「お母さん」のかたわらにいて、「お母さん」ついに息たえた場面である。「お母さん、息をしてよ」のやわらかい呼びかけに対して、「ぴたぴた」の生々しさにぎょっとする。こわいなあ、とおもう。湿りや体温はあっても、息をしていない、そのことが素朴にも死をつきつける。

 

たとえば水にぬれた金魚が机のうえで跳ねつつ身をよじりつつもがいている、あのときの「ぴたぴた」をおもう。力のないものが、大きな力のまえでなすすべもなくたてる音。あるいはその「大きな力」が、力のないものにむけてするしぐさのたてる音である。

 

このうたでは、息の「消えた」る母の頰を「ぴたぴた」と打って、息がもどるようにする、それはある祈りであり、動揺であり、そうするよりほかない(咄嗟の反応)ということだとおもうが、生の側と死の側にあきらかな隔たりがあって、そのことを、この「ぴたぴた」がつよく印象づけるようだ。

 

結句の「息は消えたり」の(表現上の)あっけなさともあいまって、「ぴたぴた」のおそろしさが、いつまでも胸中にのこる。

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