星と臍を繋いで歩く曲がるべき角を曲がれば星と別れる

涌田悠「こわくなかった」ねむらない樹vol.8 書肆侃侃房 2022.02

 

第4回笹井宏之賞の大森静佳賞受賞作から。

「星と臍」の繋がっている、不思議な世界。その「星と別れ」てしまうのだけれど、寂しさや悲しみといった負の感情は読み取れず。語り手によって繰り返される、リフレインのような韻律にともなって、作中主体はたんたんと歌の向こうがわへと歩いてゆく。

 

読み手はまず、「星と臍」であることに驚く。「臍」は赤ちゃんがこの世と、そして母親の胎内から栄養を摂りこむために繋がれるもの。それがこの空に無数にある「星」であることにホッとする。「月」ではなく。

「臍」は丹田を想像しました。角を曲がったり、行く先の方向転換をするとき、それはおそらく重心を操ろうとするとき、わたしたちは無意識に丹田に力を入れる。 辞書などには「丹田」を「古代中国の医学で丹は不老不死の薬、田はこれを産する土地を意味し、ここに力を入れれば、健康と勇気を得るとされる」と説明されているのですが、ここでは作中の主体のおなかの、身体の軸が天空から吊り下げられて、まっすぐな姿勢で歩いてゆく様子を彷彿とさせられたのです。

 

 立っているからだが座るまでにある無数の座る以外の行為

 

連作の途中で出逢うこの歌を目にして、そういえばたしかに、星座は文字通り座っている星、なので、凛と歩むこの作中主体の行動ととわにはともなわないな、と気付かされます。

「星と臍」を繋いでいた語り手が、仕舞いには言葉とからだとをさっぱりと切り離している。そのことを軽やかに、そしてどこか体温を帯びたぬくもりをもって表されていることが愉しく、快いのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です