ヘルパーが来てゴキブリのいなくなった部屋に父は暮らしぬ弁当食べて

竹中優子『輪をつくる』(角川文化振興財団、2021年)

 

ヘルパーが/来てゴキブリの/いなくなった部屋に/父は暮らしぬ/弁当食べて

 

と切って読んだ。あるいは上の句を「ヘルパーが来て/ゴキブリのいなく/なった部屋に」と読むかもしれないが、「来て」「いなくなった」を句のあたまに置くことで展開を見せていくほうが、わたしとしては場面をすっきり受け取ることができた。

 

ヘルパーさんが来るようになって、掃除なんかもやってくれるのだろう。部屋がきれいになって、ごみも捨てられて、ついに「ゴキブリ」もでなくなった。清潔になった。ゴキブリとともにあった父の暮らしはいくぶん変わった。

 

きっと良かったこと、なんだとおもう。どうかなあ。ヘルパーを呼んで、ではないから父ではなくまわりのひとが頼んで来てもらうようにしたのだ。つい「でなくなった」と書いたが、うたには「いなくなった」とある。このあたりにも父の存在感というか意思は希薄で、このさっぱりとした述べ方は不気味にも映る。生命感とぼしく、しかし命をつないでいる、人としての暮らしをどうにか保っている、そういう感じがする。

 

自分でつくるわけでも、外へ食べにいくのでもなく、日々「弁当」を(きっと)ひとりで食う。これは、今の暮らし方としてはわりに普通のことになってきているが、ここでもまわりの人は最低限の生活を支えるのみで、そうするよりほかない事情というのも、歌集のなかには漂っている。直截の迫力をおもった。

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