池田輔「わからないまま大丈夫になりたい」『早稲田短歌』51号,2022
「早稲田短歌」の最新号から。
「画像認証」は、ウェブサイトにログインする際、利用者が生身のにんげんかそうでないかを識別するための方法で、「山」とか、「信号」とか、たいてい一目でそれとわかる画像とそうではないものとがランダムに並んでいる。
初句八音。なのにすんなりとおさまりの良いのは、二句目以降がきれいに韻律におさまっているから、そして言葉の意味が相互に作用したり、振り返って意図を迎えに行く必要がないからだろうと思います。
この理路整然とした語り手の語り口とは裏腹に、内容は決してほがらかなものではありません。
なんだか奇妙に、ちょっとずつ世界がずれている。
いちばんずれているのは、森が燃えている画像を提示するウェブサイトのシステムかと思うのですが、
ここでは、結句へ向けてその「ずれ」が読み手に馴染む仕組みとして、二句目以降のおさまりの良い韻律がとてもよく効いているのではないかな、と思います。なんとも不思議なバランス感覚。
さらに、「燃えている森」の画像を「自転車」として、わざと間違えた選択をする作中の主体は、語り手が上の句で指し示すような世界線で、きちんと「ちょっとずつずれた」行為を遂行している。
そこにこの歌のとぼけたきらめきがあって、この「きらめき」は、同じ作者の別の歌にもたくさん散りばめられています。
なにかをつよく愛することを知りたくて雨にも影を追いかけている
星があったそこにさかなが泳いでいた人は自販機のあたりの確率を減らしていた
言っていることがなんにもわからずに汚い川のように頷く
あてずっぽうに見せた、計算尽くしの言葉たち(その逆も)。これらは、ぐうぜん何かを言い当ててしまうような詩の本質、に見せかけた詩の危うさや美しさを、読み手に差し出しているのかもしれません。もしかすると。