伊藤一彦『微笑の空』(角川書店、2007年)
桜のころがおわって、松の林に来ている。海の辺だろう。いわゆる松原というものを想像する。潮の香がとどく。すこしずつ、夏へむかって季節が動いていく。嫩葉がかさを増し、色を深めていく。潮の香、みどりの香がまじりあうようにしてながれ、それがまだ涼しいなかにもほのかに感じられて、しぜん夏への予感をおもわせる。
うたは、ごく冷静に「いまだ夏の香ならず」と括られる。夏の感じはありながらも、それがまだ、はっきりと「夏の香」というところまではいかない。といって「春の香」はいくらも過ぎている。その変化のただなかをえがいて、余韻深い一首である。
桜のころはやはり桜に足が向く。梅のころは梅に。そうしてみると松のころ、というのはあまり聞かない気もするが、だからこそ桜がおわったときに、ふっと松のほうへ、あるいは海のほうへみちびかれていったのだとおもう。「来てゐたり」にはそういう、おのずからなるこころがあらわれている。
鼻にとどく潮の香の、まだあっさりとして夏という感じでない、むしろいくらも春の香をのこしながら、だからこそそこに夏へのまざなしがうまれている。「潮の香」「夏の香」のリフレインがたのしく、どこかはずむようなこころさえある。夏の香しるきころにまた訪ねんことをおもいながら、おわりゆく春を、そしてきたるべき夏をおもうのである。