川野里子『歓待』砂子屋書房,2020
じっと空(くう)を見ていた作中の主体が、そこに「白鯨」を見いだし、目をとめ、別れるまでの静かな時間。
まるでおとぎ話のはじまりのよう。
「いづこから」は、謎めきや神出鬼没の様子をとらえたというよりも、むかしむかしあるところに…というニュアンスで読みました。
この語り手にとって重要なのは、どこになにがあったか、という事実ではなく、「白鯨」を登場させるための空間を用意すること。
その大きな白い鯨は微笑みをたたえているけれど、そのうちに消えてゆくのだという予感を語り手に差し出し、わたしたちに指し示しています。
この歌でいちばん奇妙に感じたのが、「雲の」という表現。そのつぎに不思議だったのが「微笑みてをり」です。
例えば「空に白鯨」だとすると、とたんファンシーな物語になる。
わたしたちはそれが雲だ、ということを承知しながらも、ほのかに「白鯨」を思いながら歌を読み進めることができます。
でも、「雲の白鯨」と言われてしまう。それは「雲」であって、「白鯨」ではない、その空しさを把握する。まさに「雲をつかむような」話をわたしたちは体感するのです。
そして「微笑みてをり」。「目から崩るる」は、「崩るる」という表現からも、微笑みよりも近しいものは涙なのではないか、と思ってしまう。けれど、語り手ははっきりとした口調で「微笑みてをり」と言う。
「雲の白鯨」という表現、そして「微笑みてをり」という断言。そこにほのかに滲む、〈現実〉に対する諦念。
この歌を含む連作が短歌研究賞を受賞された際、講評で永田和弘氏が「状況が有無を言わさず歌を強制する場合がある」と述べていました。
けれど言葉が、有無を言わさず状況を蔽いつくしてしまうことのほうが、ほんとうはずっとしんどいのではないかな、と思った一首でした。